【長期休みの過ごし方が「体験格差」につながる!?】本当に子どもが輝く「体験」とは[教育ジャーナリスト監修]

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【長期休みの過ごし方が「体験格差」につながる!?】本当に子どもが輝く「体験」とは[教育ジャーナリスト監修]

「感受性の豊かな子ども時代に、いろいろな体験をさせてあげたい」――。わが子の子育てに際して、そう考えることはあるものではないでしょうか。一方で、時間やお金に余裕がなく、思ったような「体験」をさせてあげることができず、モヤモヤや焦りを感じることも……。

しかし、本当に「体験が少ない」ことは、「かわいそう」なことなのでしょうか。そもそも子どもの成長に必要な「体験」とは何なのでしょう? 教育ジャーナリストのおおたとしまささんにお聞きしました。

取材・文/松田明子

目次

子どもに「いろいろな体験」をさせなきゃ……、その前に考えたいこと

子育てにおいて「いろいろな体験が大切」という考え方は、現在、多くの保護者の方々の共通認識として広まっているのではないでしょうか。おおたさんは、「まず“体験”とは何か、ということについて考えてほしい」と言います。

一般に「体験」と言えば、スポーツ、文化・芸術活動(音楽や美術、古典芸能など)、自然体験(キャンプや登山など)、旅行……、などが思い浮かびます。ところが、これらの多くを「体験」するためには、ある程度のお金や時間の余裕が必要ですし、「子どもに貴重な体験を提供する」という名目で、営利目的で運営されているプログラムも多いのが現状です。

どうして「いろいろな体験」をさせたいのか?

それなりのお金や時間をかけてまで、保護者の方が子どもに「いろいろな体験」をさせたいと感じるのはどうしてなのでしょう。その背景には、体験を通して、子どもに何かしらの「力」を身につけさせたいという親心があるのではないでしょうか。

では、「力」とはどんな力なのかと考えたことはあるでしょうか。例えば、いわゆる「非認知能力」を期待しているのでしょうか。「非認知能力」とは一般的に、テストの点数では測れない力のことで、感情のコントロール力、人と協力する力、粘り強く取り組む力、失敗から立ち直る力……、などを指します。けれども、はっきりと考えてみたことのない方も多いように感じられます。それでも必要に迫られているように感じ、お子さんの体験に「投資」してしまうのは、なぜなのでしょうか。

「体験格差」って何?

最近は、「体験格差」という言葉もよく聞かれます。本来は、子どもの生育環境によって学校外での「体験」の機会に格差が生じてしまう状況のことをいい、家庭の経済状況等の格差への問題点を指摘した言葉です。

これに対して、おおたさんは、「経済的な困難や、家庭環境の問題で不便を感じている子どもたちに、社会として手を差し伸べるのは当然です。けれども、“体験格差”という言葉が広まったことで、“体験”と“能力”が結びつけられて語られるようになりました」と言います。「体験」という言葉の定義が小さくまとめられ、子どもに「能力」をつけさせるような「特別な体験」がどこかにあるかのような幻想を、多くの人が抱くようになったというのです。

また、「体験格差」という言葉は企業のマーケティング戦略にも取り入れられ、「特別な体験」が「子どもに提供できるサービス」のように扱われる傾向も強まっています。「格差」という言葉で、保護者の方は不安をあおられます。「子ども時代の体験に差があると、わが子が将来的に“損”することになってしまうのでは?」と焦りを感じるようになり、無意識に体験の量や質を競うような風潮に巻き込まれてしまっているように思われます。本当に考えるべきは、「体験が足りないのではないか」ではなく、「“体験”と“能力”を短絡的に結びつけてしまっていないか」という点なのかもしれません。

子どもは「能力」を詰め込む器ではない

「体験格差」という言葉に不安や焦りを感じるのであれば、その原因がどこにあるのか、保護者の方が一度自分自身を顧みてみるとよいでしょう。つい、SNSで見かける親子や、周囲にいる子どもと比べてしまうこともあるかもしれません。「あの子がやっているから、わが子にも多様な”体験”をさせないと」と焦ることもあるでしょう。けれども、わが子が「勝ち組」になることばかりを優先するような子育て観は、お子さんだけでなく保護者の方自身を追い詰める原因にもなります。

子どもたちは能力を詰め込むための器ではありません。少しでも空いている時間があれば、習い事やアウトドアなど、「何かをさせなければ」と「体験」を詰め込み、子どもに「能力」をインストールしようとすることは、本当にお子さん自身のためなのでしょうか。保護者の方自身の不安を解消するためになっていないか、立ち止まって考えてみることが大切です。

家の中、近所の公園でもできる「体験」がある

キャンプや釣り、登山など、いわゆるわかりやすい「体験」をしたとしても、そこから何を学び取るかは子どもによって違います。例えば、釣りに行ったとして、どんなふうに釣り方を工夫したら魚がよく釣れるだろうかと考える子がいれば、魚をうまくさばけるようになりたいと考える子もいるかもしれません。あるいは、周囲の自然の美しさに感動する子、川にたどり着くまでの山道を上り下りしたことを自信につなげる子もいるでしょう。その違いこそ個性であり、個性が磨かれるプロセスなのです。

そして、そういった学びの機会は日常の中にもあふれているので、わざわざ遠方に出かけたり特別な体験をさせたりしようと躍起になる必要もないのです。家族で近くの公園に行って、木々を触ってみたり、匂いをかいでみたり、登ってみたり、その回りで虫を探してみたりするだけでも、十分に子どもの非認知能力は育ちます。そのときお子さんの目がキラキラと輝いていれば、保護者の方が特別な言葉をかける必要もありません。

公園まで行かなくとも、おうちの中でお手伝いをしてもらうことも「体験」です。例えば長期休みの間、毎日花に水をやってもらうことも、「続ける力」や「あきらめない力」を育てる体験と言えるでしょう。

子どもの「自分で自分を育てる力」を信じる

おおたさんは、「大人がわざわざ体験を用意しなくても、子どもたちが子ども同士で自由に過ごせる時間・空間があれば子どもは自然に育っていきます」と語ります。そして、各ご家庭や地域の環境として、そういったことが難しい場合も、保護者の方が何か特別な「体験」を用意しなければと考える必要はありません。

モンテッソーリ教育が子どもの「自己教育力」を前提としているように、子どもは自分で自分を育てる力を持っています。子どもは「大人が何かを用意しなければ学べない」ということはなく、どんな状況にあったとしても、それを糧(かて)にして学ぶことができるはずです。

保護者ができる一番のことは、子どもといっしょに楽しく充実した時間を過ごすこと。そこに結果として何か「おまけ」が付いてくればラッキー、くらいに考えましょう。各ご家庭で無理のない範囲で、お子さんが好きそうなことをやらせてみたり、保護者の方が好きなことにお子さんを誘ってみたりするだけでいいのです。

そして、友達やきょうだいとけんかをしたり、傷ついたり、病気で学校を休んだり……、などといったことも含めて、全てが「体験」だと言えますし、全てが人生の財産になります。一見ネガティブな体験からも、人生の教訓や喜びを得られるということを、お子さんに近くにいてそっと伝えるのが、保護者の方の役割なのではないでしょうか。

子どもは大人が思っている以上にたくましいものです。まずは「子どもを信じること」から始めてみましょう。

この記事の監修・執筆者

教育ジャーナリスト おおたとしまさ

「こどもが“パパ〜!”っていつでも抱きついてくれる期間なんてほんの数年。いま、こどもと一緒にいられなかったら一生後悔する」と株式会社リクルートを脱サラ。独立後、数々の育児・教育誌のデスクや監修を務め、現在は、子育て、教育、受験、進学、家族のパートナーシップなどについて、取材・執筆・講演活動を行う。『子どもの体験 学びと格差 負の連鎖を断ち切るために』(文藝春秋)ほか、著書多数。公式ブログ:http://toshimasaota.jp/index.html

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