子どもの頭と体の発達に、「噛む力」が大きな影響を与えているのをご存知ですか?
「噛む」ことは食事だけでなく、知能の発達や健康にも大きくかかわっていることが、多くの研究や実験から報告されています。たとえば、きちんと噛んで食事をしている子どもは、記憶力や運動能力に優れ、風邪などの感染症にもかかりにくいことがわかっています。一方で正しく噛めない子は、風邪をひきやすかったり、やる気が出ない、疲れやすいといった共通の傾向が見られます。
では、なぜ「噛む力」が子どもの発達や健康に影響を与えているのでしょうか? そして、どうすれば子どもの「噛む力」を上げられるのでしょうか? 今回は小児歯科医師で、子どもの歯と健康問題に取り組んできた増田純一先生にお話を伺いました。
お話:増田 純一先生
イラスト:みさきゆい
「お口ポカン」の子が増えている!
私は40年にわたり、小児専門の歯科医として子どもたちを診てきました。そこで実感しているのは、子どもたちの咀嚼(そしゃく)能力――つまり「噛む力」が、年々低下していることです。
子どもは3~4歳になると噛む力がついて、あごや顔の周りの筋肉が発達するので、つねに口を閉じて鼻呼吸ができるようになります。しかし近年、「噛む力」が弱いせいで、いつも口が開いている「お口ポカン」状態の子どもが増えているのです。
「お口ポカン」状態の子どもには、次のような特徴があります
- 上唇が富士山型になっている。
- 食べるときに口を開いてペチャペチャと音を立てる。
- 口唇(こうしん)の内側の粘膜が見えている。
「お口ポカン」状態でもっとも心配されるのが、口呼吸になることです。
人間の正常な呼吸は鼻呼吸です。吸った空気が鼻を通ることで、鼻毛で細菌などの異物を取り除くことができます。また、冷たく乾燥した空気を湿り気のある鼻の中であたためて、直接のどを刺激しないようになっています。
しかし口呼吸では、吸った空気が異物を取り除いたりあたためられたりすることなく、そのまま口から入ってきます。そのため口の中やのどが乾燥し、唇のひび割れや歯肉の炎症、細菌やウイルスによる感染症などを引き起こしやすくなるのです。
さらに口呼吸では、吸った空気でのどが直接刺激されることで扁桃腺肥大の原因にもなり、いびきや鼻づまり、中耳炎を起こしやすくなります。それが花粉症やぜんそく、睡眠時無呼吸症候群にもつながることもあります。
また近年、ろうそくの火を吹き消せない子や、ストローを上手に使えない子も増えていますが、これも「お口ポカン」が原因と考えられます。上唇の動きが弱いせいで唇をすぼめることや、すぼめて息を長く吐いたり吸ったりすることができない子どもが増えているのです。
食生活の変化が子どもの「噛む力」を弱らせた
日本では20~30年前から、口を開けたままで噛んだり、ほとんど噛まずに飲み込んだりと、うまく噛めない子どもが目立ち始めました。現在では、2~13歳の子どもの1/3以上が、口を開けたままで食べ物を噛んでいます。
これらはすべて、「噛む力」が弱いために引き起こされています。では、なぜ子どもたちの「噛む力」が弱くなったのでしょうか? その大きな原因は、食生活の変化です。昔と比べて、口に力を入れて噛む必要のある食べ物が少なくなったため、噛む回数が減り、咀嚼力が衰えてしまったと考えられています。
1回の食事で噛む回数の平均は、戦後の日本人は1,300~1,400回程度でした。しかし、高度経済成長期の1980年代~1990年代には620回と、戦後の半分以下になっています。つまり子どもたちの「噛む力」は、この20~30年で急激に低下しているのです。
頭と体を育てる「噛む力」
「噛む力」は、乳幼児期から一生涯にわたって人に影響を与えます。とくに子どもにとっての「噛む力」は、頭や体の成長に大きく影響することが、さまざまな研究や調査でわかっています。よく噛むことの効果をいくつか挙げてみましょう。
噛めば記憶力アップ!
しっかり噛まない生活を続けていると、噛むための神経や感覚をつかさどる脳の領域が使われず、脳への刺激も減ってしまいます。つまり脳に刺激を与え、脳の働きをよくするには、噛むことが必要なのです。
また、脳の学習記憶にかかわっているアセチルコリンという情報伝達物質が、噛むことで増えることがわかっており、「噛む力」によって記憶力がアップすると考えられています。
日本咀嚼学会によると、幼稚園児56名に対し、咀嚼力と記憶力のテストを行ったところ、かたい食べ物を加えたメニューの給食を食べた園児のほうが、そうでない園児よりも噛む力が強く、記憶力テストの結果もよかったそうです。
運動能力のある子は噛む力もスゴイ!
「噛む力」は運動能力にも関係があります。小学生を対象にした調査では、懸垂や50メートル走などの運動能力は、噛む力が強い子どものほうが優れているという結果が出ているほどです(財団法人8020推進財団資料)。
これは大人も同じで、歯が健康な人は身体能力も高い傾向にあります。たとえばスポーツ選手の場合、一般の人よりもむし歯が少なく、噛み合わせの力も一般の人より強いという調査結果もあります。
よく噛む子は肥満にならない
噛む回数が少ないと、生活習慣病のリスクが高まるといわれています。これは噛むことで脳の満腹中枢が刺激され、食べすぎを防げるためです。反対によく噛まないと、脳への刺激が少なくなり、満腹感を得られずに食べすぎてしまいます。
実際に日本の小学5年生を対象とした調査では、よく噛まない早食いの子どもほど、肥満の程度を測る「ローレル指数」の値が高いことがわかっています。子どものころからよく噛まない早食いの習慣をつけてしまうと、肥満になりやすく、大人になってからもその傾向が続いてしまうのです。
今日からできる! 「噛む力」を高めよう
ここまでの説明を読み、「うちの子、正しく噛めていないかも……」と不安になったり、「『噛む力』って、どうやって鍛えればいいの?」と疑問に思う保護者の方もいらっしゃることでしょう。
今はしっかり噛むことができていなくても、噛むための筋肉を鍛え、正しい噛み方を覚えれば、どんな子でもすぐに「噛む力」をアップさせることができます。
そこでここでは、子どもの「噛む力」を育てるためのトレーニング方法をご紹介します。
「あいうべ体操」で噛む力のトレーニング
まずは噛むときに必要な口まわりの筋肉を鍛える、「あいうべ体操」にチャレンジしてみましょう。これは内科医の今井一彰先生(みらいクリニック院長)が、口呼吸を防ぐためのトレーニングとして考案したものです。
声を出す必要はありませんので、テレビを見ながら取り組んだり、お風呂で湯船につかったりしている間に取り組んでみましょう。
あいうべ体操
①「あー」と口を大きくあける。
②「いー」と口を大きく横に広げる。
③「うー」と口を前に突き出す。
④「べー」と舌を突き出して下にのばす。
①~④で1セットとして、1日30回行いましょう。毎日続けることで、自然と「噛む力」を身につけることができます。
ひと口で30回噛む習慣を!
厚生労働省が提唱している「噛ミング30(カミングサンマル)」運動では、正しい食事法として、ひと口あたり30回噛むことを推奨しています。
正しい「噛む力」を身につけるには、噛む回数だけでなく、次の「食べ方7か条」を心がけるようにしましょう。
食べ方7か条
①食べるときは姿勢を正す。
②足底を床につける。
③ひと口30回噛むように意識する。
④ひと口の量は少なめにして、口を閉じて噛む。
⑤飲み込もうと思ったとき、さらに5回噛む。
⑥先に食べたものを飲み込んでから、次の食べ物を口に入れる。
⑦水分で流し込むようにして食べない。
子どもの「噛む力」をつけさせよう
私が歯科医になった昭和40年代には、9割以上の子どもにむし歯がありました。しかし現在では、むし歯のない子のほうが多くなり、日本は先進国の中でもっともむし歯の少ない国の一つになりました。
しかしその一方で、正しく噛めない子どもが増えています。よく噛まなくても食事ができてしまう現在の日本では、「噛む」ことを子どもにしっかり教える必要があるのです。
私は長年、子どもたちの「噛む力」を高める治療に取り組んできました。どんな子でも、「噛む力」をつけるだけで能力が上がり、顔つきまで変わってきます。
ここで紹介した「噛む力」を身につける方法は、日ごろ忙しい保護者のみなさんでも手軽に取り組めるものです。お子さんが生涯にわたって「噛む力」を保てるように、健康ならぬ「健口」づくりに励んでいきましょう。
この記事の監修・執筆者
佐賀県武雄市のマスダ小児矯正歯科医院院長。子どもたちの歯と健康に取り組み、噛む力を高める治療を行っている。日本顎咬合学会指導医、日本小児歯科学会会員、審美歯科協会会員。主な著書は「噛む力 頭のよい子はきちんと噛める」(WAVE出版)
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