【南極ってどんなところ?】南極の自然と歴史を知ろう!

更新日: 公開日:

【南極ってどんなところ?】南極の自然と歴史を知ろう!

地球の最も南に位置する南極大陸。夏至のころは一日中太陽がしずまず、逆に冬至のころは、一日中太陽が昇らず、暗く冷たい世界です。人間の活動をこばむ厳しい環境ですが、世界各国の観測基地があります。
人類は南極大陸をどのように発見し、どのように守ろうとしているのでしょうか。探検気分を感じながら、親子で南極に思いをはせてみましょう。

文/こそだてまっぷ編集部

目次

地球の最も南にある氷の大陸

南極の場所は?

南極は、地球儀ではいちばん下の見づらい位置にあります。地球儀で下ということは、地球の最も南にあるということですね。
地球は、北極点と南極点を結ぶ軸を中心に自転していますが、その南極点をふくむ大陸とその近くの島々や海を含めた地域を南極と呼びます。
また、天文学では南緯66.5度よりも南を南極圏と呼びます。この範囲は、夏は一日中太陽が出ている白夜になり、冬は一日中太陽が出ない極夜になる地域です。

こちらもおすすめ≫【国際宇宙ステーション(ISS)】の日常生活ってどんなもの?−宇宙開発を探ろう

氷におおわれた大陸

南極大陸の面積は、約1400万平方kmです。日本の面積の約37倍もあります。面積が約759万平方kmのオーストラリア大陸と比べても、約1.8倍です。南極大陸がいかに広いかわかりますね。
これほど広い大陸のほとんどは氷でおおわれています。その厚さは平均して約2500mです。最も厚いところでは、富士山の高さを上回る4000mもあります。
地球上にある氷の90%以上は南極にあります。

南極半島の風景
南極半島の風景

地球で最も寒い場所

全体が氷でおおわれていることからもわかるように、南極はたいへん寒い気候です。地球で最も寒い場所なのです。
南緯69度の場所にある日本の昭和基地では、夏の平均気温が-1℃、冬の平均気温は-20℃です。南極点に近くなるとさらに寒さが厳しくなります。史上最も低い気温を観測したのは、ロシア基地でのことで、なんと-89.2℃でした(1983年7月21日)。家庭の冷凍庫の温度でも-18℃くらいですから、想像もできない寒さです。

南極の内陸部にあるドームふじ基地の写真
南極の内陸部にあるドームふじ基地(提供:国立極地研究所)

南極の発見と探検

南半球の未知の大陸を求めて

古くからヨーロッパでは、北半球に比べて南半球には陸地が少ないことから、南半球にはまだ見つかっていない大陸があるだろうと考えられていました。そこで、多くの探検家が未知の大陸を探そうと航海をしていました。
18世紀のイギリスの探検家のジェームズ・クックもそのひとりでした。1772~1775年の航海で、クックは南極圏まで船を進めましたが、結局大陸を見つけることはできず、引き返しました。しかし、このとき彼は、南極大陸からわずか130kmのところまで到達していたのでした。

南極の発見者たち

1819年、ロシアは、クックが到達した地点よりさらに南に向かうべく、探検隊を送りこみました。
べリングスハウゼンら一行は、1820年1月27日、氷のかたまりを発見しましたが、これが現在の南極大陸の一部だったと考えられています。そのわずか3日後、イギリスのブランスフィールドらも南極半島の先端を発見しました。
さらに、翌年の1821年には、アメリカのアザラシ漁師で探検家でもあるデイビスが初めて南極に上陸したとされています。

南極点一番乗りの争い

20世紀の初めごろまでに、地球上の未知の場所が次々に探検されており、南極点への一番乗りをめざす競争も熾烈になっていました。
1911年、ノルウェーのアムンセンとイギリスのスコットが、ともに南極点をめざしてそりを進めていました。この競争に勝利したのはアムンセンでした。1911年12月14日、人類史上初めて南極点に立ち、無事帰還しました。一方のスコットはアムンセンに遅れること約1か月、1912年1月17日に南極点に到達しました。スコットは南極点にひるがえるノルウェーの旗を見て嘆きました。しかし、悲劇はそれだけではありませんでした。帰り道でスコットたちは遭難し、隊員全員が命を落としてしまったのです。

南極点をめざした白瀬矗

さて、同じ頃に南極点をめざしていた日本の探検家がいました。白瀬矗(しらせのぶ)です。彼は、1910年11月に日本を出港し、1912年1月16日に南極大陸に上陸しました。南極点に到達することはできませんでしたが、南緯80度の地点まで進み、その付近一帯を「大和雪原(やまとゆきはら)」と名づけて撤退しました。

南極条約と日本の南極観測

南極条約を締結

南極はどこの国の領土かご存じですか。正解は「どこの国の領土でもない」です。
20世紀半ばまでに南極の探検や調査が進み、南極を自国の領土であると主張する国が現れました。そこで、アメリカが提唱して1959年にワシントンで、南極はどこの国の領土でもないとする「南極条約」が結ばれました。日本は最初から参加している12か国の1つです。
2022年現在、南極条約には54か国が参加しています。

南極条約の取り決め

南極条約では、次のような取り決めがされています。
(1)南極地域は平和目的だけに使うこと。軍隊の基地をつくるなど、戦争のために利用してはいけない。
(2)南極地域の科学調査は自由に行ってよい。そのために国同士が協力しよう。
(3)国同士が協力しやすくするために、調査の計画を互いに教えあったり、科学者がお互いの基地を訪問したり、調査したデータを交換したりしよう。
(4)南極地域を自分の国の領土だと言うのはやめよう。
(5)南極地域での核実験は禁止する。放射性廃棄物を捨ててはならない。

こうして、南極は人類の共通の財産として、平和目的のために利用されているのです。このような場所は、地球の中でも南極くらいです。

日本の南極観測は?

日本も1956年に第1次南極地域観測隊を派遣し、昭和基地を開設して以来、国の事業として継続して南極観測を行っています。
第1次南極地域観測隊に加わっていた樺太犬のタロとジロが、越冬隊が去ったあと1年近く生き延びて発見された話はよく知られています。
また、南極をはじめ、北極やその周辺地域について観測、研究、実験をする機関として、1973年に国立極地研究所が設立されました。

日本の南極観測船「しらせ」
日本の南極観測船「しらせ」(提供:国立極地研究所)

現在日本は、昭和基地、あすか基地、みずほ基地、ドームふじ基地を拠点に(閉鎖中の基地もあります)、南極環境の観測を続けています。
その成果は、地球の歴史や気候変動のしくみなどを解明することにつながっているのです。

〈この記事への協力〉
大学共同利用機関法人情報・システム研究機構 国立極地研究所

南極大陸と北極圏に観測基地を擁し、極域での観測を基盤に総合研究を進める。大学共同利用機関として、全国の研究者に南極・北極における観測の基盤を提供するとともに、共同研究課題の公募や、試資料・情報提供を実施するなど、極域科学の推進に取り組んでいる。

こそだてまっぷ

こそだてまっぷから
人気の記事がLINEに届く♪

あわせて読みたい

おすすめの本

おすすめ情報

こそだてまっぷ

こそだてまっぷから
人気の記事がLINEに届く♪

関連記事